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高森明勅
2021.4.30 06:00皇室

「昭和の日」制定を目指す運動がスタートした頃のこと

4月29日「昭和の日」。
この祝日の趣旨は、「激動の日々を経て、復興を遂げた
昭和の時代を顧み、国の将来に思いをいたす」。

時代が「平成」に移って暫く、「みどりの日」と呼ばれる
祝日だった(現在、「みどりの日」は5月4日に移動)。
その名称と趣旨を、昭和天皇と昭和時代を回顧するのに
ふさわしいもの(初め、新しい祝日名は「昭和の日」が良いか、
「昭和記念日」など他の名前が良いか、未定だった)に
改めようという運動が、“ささやかに”スタートしたのは
平成5年だった。

今から30年近くも前のこと。
それ以前にも、政治家や文化人、学者などが、
個人的にそのような声を挙げておられた。
しかし、実際に名称を改める為には、祝日法を
改正しなければならない。
祝日法を改正する為には、多くの政治家(衆参両院の過半数)
の賛同が必要だ。

多くの政治家の賛同を得る為には、国民からの
盛り上がりが欠かせない。
最終的に国会を動かして(平成17年に祝日法を改正)、
「昭和の日」を実現(同19年に施行)させた運動の“第一歩”は、
平成5年4月23日、都内のサンケイホール
(当時、産経新聞は「サンケイ新聞」という片仮名表記)の
小さな会場で開催された「みどりの日改名請願運動発会式」だった
(「昭和の日」制定運動は当初、「みどりの日」改名
請願運動と称していた)。

当日の記念写真を見ると、参加者は僅か26名(!)。
この時は、同運動の「目的と意義」について、
不肖私が基調講演を仰せつかったと記憶する。
昭和という時代に、日本人はかつて経験したことのない、
総力戦の敗北を経験しながらも、
みんなが心を1つにしてドン底から見事に復興を成し遂げた。
その精神的中心が他ならぬ昭和天皇だった。

この国民的体験は、将来の日本人にも、
(特に、大きな試練に直面した時に)必ずや勇気と
希望を与えるに違いない。
昭和天皇のお誕生日だった4月29日は、昭和の激動と復興、
それを支えた不屈の魂を、後世に伝える祝日とすべきだ、と。

記念写真には、既に亡くなられた名越二荒之助先生など、
懐かしいお顔も写っている。
当初、運動を推進しておられたのは「田中智学門下青年協議会」
の皆さん。
昭和2年に「明治節」(11月3日、現在は「文化の日」)が
制定された背景には、宮澤賢治も熱心な信者だった
「国柱会」を創立した田中智学師の、絶大な貢献があった。

その系統の方々が、いち早く、運動に立ち上がられたのは、
まさに師の志を継承された美挙(びきょ=立派な行い、
賞賛に値する行為)と言うべきだろう。
私にお声を掛けて下さったのは、この運動の提唱者、
相澤宏明氏(当時、展転社・社長)。

私は即座に、非力ながら喜んでお手伝いをさせて
戴くことにした。
その際、1つだけ、不躾なお願いをした。
「この運動は、私らが取り組み方、進め方を間違えない限り、
必ず成功するはずです。
しかし、甚だ恐縮ながら、その為に1つだけ、
勝手なお願いがあります。
それは、“田中智学”とか“田中智学門下青年協議会”
という名前を、今後、運動の場では使わないようにして
戴きたいのです。
この運動を自ら立ち上げ、率先して推し進めて来られた
皆さんに対して、とても失礼なお願いだと分かっていますが、
運動の間口を広げ、幅広い国民に呼び掛けて、
運動の目的を達成する為には、どうしてもそのことが
必要だと思います」と。

心情的には言いにくいことだったが、
運動の成功の為に不可欠だと考えて、敢えてお伝えした。
これに対する相澤氏のお答えは、とても気持ちが
良いものだった。

「そんなの、たやすいことです。
確かにお約束します。
そのようにしましょう」と。

ひょっとしたら不快がられたり、難色を示されるのでは
ないかとも心配していたが、一点の私心もない、
爽やかな応答に舌を巻いた。
私の申し出を踏まえた運動組織の転換は、
同年末の同協議会の忘年会の席でのことだった。

「昭和の日」制定運動の歩みをまとめた『「昭和の日」実現への道
〔記録集〕』(「昭和の日」推進国民ネットワーク編、平成17年)には、
以下のような記述がある。

「こうして徐々に発展を遂げつつあった『みどりの日』改名請願運動は、
その年(平成5年)の暮れに大きく脱皮する機会を迎えた。
すなわち『みどりの日』改名請願運動の母胎になっていた
田中智学門下青年協議会の手を離れ、あらたな事務局体制を作り、
広範な国民運動に転換するべく、関係者の合意が得られたのである。
この合意を得るについては、田中智学門下青年協議会の憶年会
(忘年会)の席上、高森明勅氏よりその議が出された。
まことに正鵠を射た提案に、渡りに船とはこのことと
真剣に検討した。
その結果、この案を採用することになったが、今から思うと、
この提案と決断は『昭和の日』成立のためには画期的なことで
あったと思う。
この決断がなければ、小さな同好の士の集まりで
終わっていたであろうからである」と。

その後の詳しい経緯は同書に正確な記録がある。
なお、「昭和の日」制定を受けて、近年、11月3日を
現在の「文化の日」から「明治の日」に改める運動が、
相澤氏らを中心として進められていることを付言しておく。

【高森明勅公式サイト】
https://www.a-takamori.com/

高森明勅

昭和32年岡山県生まれ。神道学者、皇室研究者。國學院大學文学部卒。同大学院博士課程単位取得。拓殖大学客員教授、防衛省統合幕僚学校「歴史観・国家観」講座担当、などを歴任。
「皇室典範に関する有識者会議」においてヒアリングに応じる。
現在、日本文化総合研究所代表、神道宗教学会理事、國學院大學講師、靖国神社崇敬奉賛会顧問など。
ミス日本コンテストのファイナリスト達に日本の歴史や文化についてレクチャー。
主な著書。『天皇「生前退位」の真実』(幻冬舎新書)『天皇陛下からわたしたちへのおことば』(双葉社)『謎とき「日本」誕生』(ちくま新書)『はじめて読む「日本の神話」』『天皇と民の大嘗祭』(展転社)など。

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